もの

王陽明は、朱子の学とはちがって「いったい「物」というのは何ぞや」という、そもそもの論をしっかりと説いていた。

朱子は「物を理解し、その理をきわめる」と、いうけれども、物をみる自分の意識は「物」の外に厳然と存在しているものではない。「物」と、物をみる自分の「心」は、もともと一つのものであり、別物ではない。むしろ、本来、自分も「物」と一体であることを自覚して生きよ、と説いているように思えた。  ~「無私の日本人」p.220

 

ー天地万物一体

の理がわかれば、それでよい、というのである。

「聖人の学というのは、煎じつめれば、仁の一字につきます。仁とは天地万物一体の心のことです。義も礼も智も信も、みな、そのなかに含まれます。たしかに、一見すると、宇宙の森羅万象はさまざまで、とても、ひとつのものにはみえません。しかし、考えてください。この宇宙の物は、みな天地の気をうけて生じてきたものです。そういう意味で、一体であるといえる。天から日の光がそそぎ、雨がふると、山に草木が野に穀物が生じるでしょう。そこから、鳥や獣や人が生まれてきました。ですから、父子・兄弟から天下後世の人にいたるまで、みな我が骨肉です。日も月も、雨も露も、山も川も、草木も、鳥獣も、魚もすっぽんも、一物として、我でないものはない。天地万物は一物です。このあたりまえのことに立ち戻るだけでいいのです。それほど、聖人の学は広大にして簡単なものなのです。」 ~「無私の日本人」p.227

 

月を見るものは指を忘れて可なり ~「無私の日本人」p.212

 

無私の日本人 (文春文庫)

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