あおそら

自分のための走り書きらくがき帳 

ほんとのきらめき

新約聖書の有名なイエスの言葉「求めよ、そうすれば与えられるであろう」はとんでもなく誤解されています。 そもそもが、「誰に」「何を」求めれば、「何が」与えられるのか、肝心なところが全て省略されています。 いくらでも勝手な解釈が可能です。これは、日本語の聖書も英語の聖書もほとんど同じです。 なぜ、こんな曖昧な表現になったのか不思議ですが、英語や日本語に訳する時に誤訳した可能性もあります。
最もひどい解釈は「神様に求めれば、欲しいものを与えて下さる」というものです。何とも馬鹿な解釈ですが、ひょっとしたら、最も一般的な解釈かもしれません。また、多くの成功哲学がこの解釈を基にしていたりもします。 この言葉の本当の意味は、「神を求めよ。そうすれば信仰が与えられる」といったものです。
イエスは、「天の父は、あなた方に必要なものはとっくにご存知だ。それらは願わずとも与えられる」と言っているのです。
だから、物質的なものを求める必要はないのです。それを求めよとイエスが言うはずがありません。 
では、「神を求めよ」とはどういうことでしょうか? これは、一般の理解とは全く逆で、「何も求めるな」という意味です。 何も求めないことが、神を求めることになるのです。 神を求めるとは、そういうことなんです。 そうすれば、信仰、即ち、何かを信じることができるのです。

 

「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味: ITスペシャリストが語る芸術 より

 

 

みたさん考

絶賛されているらしい謝罪会見

要はその会見内容に共感できる人が多かったというだけのことでそ

多数決でそ

だから良い悪いは関係ないはず

デモクラシーが多数決なら

とんでもなくあほうなことが法になることもあるらろう

ならずば抜けて頭いい人に任せたほうがいい気もする

でもその頭いい人を選べる人はどこにいるんだろう

闇…

AI?

 

 

 

 

 

勝新のことば

今の次も今 いつまでもつづく今

今が終わってあたしが終わるのか

あたしが終わって今が終わるのか

 

自然の光の中に立って 似合う男でいたいな

暗闇の中で光っていたいな

見えないものが見える

一瞬手前で勝負する

ブログの効用

ブログ、こんなものは10年ちょっと前にはなかった。

ブログ、いろいろある。いろんな世界がある。

それはけっこう閉じている世界で、深い耽溺のなかにあったりする。

自分のいる場所が閉じている世界だと知らなければ、そこから出ることもない。

自分自身も深い耽溺のなかにいたことに、気づかされたこともある。

自分のいた場所に気づけること。

これはこれでブログの効用。