ほんとのきらめき

新約聖書の有名なイエスの言葉「求めよ、そうすれば与えられるであろう」はとんでもなく誤解されています。 そもそもが、「誰に」「何を」求めれば、「何が」与えられるのか、肝心なところが全て省略されています。 いくらでも勝手な解釈が可能です。これは、日本語の聖書も英語の聖書もほとんど同じです。 なぜ、こんな曖昧な表現になったのか不思議ですが、英語や日本語に訳する時に誤訳した可能性もあります。
最もひどい解釈は「神様に求めれば、欲しいものを与えて下さる」というものです。何とも馬鹿な解釈ですが、ひょっとしたら、最も一般的な解釈かもしれません。また、多くの成功哲学がこの解釈を基にしていたりもします。 この言葉の本当の意味は、「神を求めよ。そうすれば信仰が与えられる」といったものです。
イエスは、「天の父は、あなた方に必要なものはとっくにご存知だ。それらは願わずとも与えられる」と言っているのです。
だから、物質的なものを求める必要はないのです。それを求めよとイエスが言うはずがありません。 
では、「神を求めよ」とはどういうことでしょうか? これは、一般の理解とは全く逆で、「何も求めるな」という意味です。 何も求めないことが、神を求めることになるのです。 神を求めるとは、そういうことなんです。 そうすれば、信仰、即ち、何かを信じることができるのです。

 

「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味: ITスペシャリストが語る芸術 より