たかがイメージ されどイメージ 錯覚がやがては本質に

福地も板垣も建築というメディアの利用の仕方がわかっている人だったということです。

人間という生物は自分の体に比べてすごく巨大なものが存在すると、そこにある威圧感や永続性のイメージに圧倒されて、背後にとんでもないものを感じてしまう。

(中略)

建築というメディアの効果を、古代エジプト人も十分に認識していたのでしょう。 

     -隈研吾

建築って人間にいろんなことを錯覚させるんですよ。たとえば破風屋根の下には特別なものがあるという錯覚。

その錯覚は不思議なことに時間がたつと錯覚じゃなくて本質になったりもするんです。

     -隈研吾

日本人はどう死ぬべきか?

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