春の武相荘(旧白洲邸)
邸内は写真厳禁。部屋の様子はこんな感じ。邸内の道しるべ | 武相荘の散策路 | 武相荘 Buaiso
靴を脱いで入るとすぐ、福沢諭吉自筆のこんな額縁が。
「束縛化翁是開明」ー化翁を束縛す是開明ー
添えられた説明文には、「造化の神様を縛り上げて、これを人間の生活の幸せの為使いこなすこと、これが文明開化というものだ。」とあった。
慶応義塾豆百科で調べてみると、「造化も化翁も天地自然の働きのことで、別の言い方をすれば造物主と同じ意味である。だからこの語はその働きを人間の智力で制御しながら、自然の法則を人類の幸福のために発展させるのが文明化の目的なのだ。」とある。
旧白洲邸での説明文の方が、しっくりきますがどうでしょう? この家の主にはぴったりな表現だと思いました。
自然を壊し征服するのではなく、自然と調和し共存できる人間でありたいです。という自分も山林を切り崩した造成地に住んでいるんですから、胸が痛いです。
下は5月の庭の様子。
鈴廊峠 正子好みの花生け
鶴川の家を買ったのは昭和十五年で、移ったのは戦争がはじまって直ぐのことであった。別に疎開の意味もなく、かねてから静かな農村、それも東京からあまり遠くない所に住みたいと思っていた。
現在は町田市になっている、当時は鶴川村といい、この辺(少なくともその頃は)ざらにあった極ふつうの農家である。手放すくらいだからひどく荒れており、それから三十年かけて、すこしずつ直し今もまだ直し続けている。
もともと住居はそうしたもので、これでいい、と満足することはない。綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由が出てくる。さりとてあまり便利に抜け目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
俗に言われるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。一口に言えば、自然の野山のように無駄が多いのである。(以下省略)『縁あって』「思うこと」より