あおそら

自分のための走り書きらくがき帳 

ふじわらせんせい

このシリーズおもしろい♬
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数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

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奇蹟がくれた数式 [DVD]

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じゅんすいこうい

私は研究活動を虫取りと同じ、純粋行為だと思っていたわけです。

純粋行為とは悪い意味では自己中心です。

個人のすべての行為が社会的な意味合いにおいてのみ把握される。これは世界全体の政治化ともよべる現象です。

ところがIT化、情報化だと、それがわかりにくいんですよ。そのなかでは、さまざまな選択肢があるように見えるから、「自由」だと思い込んじゃう。でも「それ以外」という選択肢が、いつの間にかなくなってるんです。

                    養老孟司の人生論 p.148から

 

養老孟司の人生論

養老孟司の人生論

 

 

もりたさん

あえて機械を模倣するのは生命の惰性と習慣を抜け出し、より自由になるためである。

規則に服従することによって、人は習慣や惰性を逸脱していく力を手にする。

機械が人間よりも優れている点は、「無意味を恐れない逞しさ」を持つことだ。

「超知的な機械の出現よりも恐ろしいのは、半知的な人間の登場だ」と喝破したのは、アメリカの哲学者ヒューバート・ドレイファスである。

身体的な実感を伴わないまま、ただ規則に服従することによって、様々な事柄が成し遂げられるようになった。このとき、恐れるべきは、規則の存在それ自体ではなく、いま自分がどのような規則に服従しているかを、自覚できなくなっていくことだ。

人間が、自らの感性で機械を抱きとめることをやめてしまえば、残るのはただ「無意味」を生産し続ける機械と、「半知的」な人間だけである。

数学を学ぶという事は数学者たちが結果としてたどりついた「規則」を学習するだけにとどまらないのだ。あらゆる規則が、血の通った人間の思考の産物であると知ること。規則を選び、それを自らに課すことによって、人は自由と可能性を追求してきたのだと認識すること。いま自分がどのような規則に服従しているかを自覚し、その規則の妥当性を批判できるような知的自立性を獲得していくこと。そうして、逞しい機械を内部に取り込みながら、同時に柔軟でしなやかな生命であり続けるという矛盾を生き抜いていくこと。それこそが、言葉の真の意味で「数学する」ということなのではないかと、私は思うのである。        

                     ~週刊新潮2/14号 森田真生さん

 

週刊新潮 2019年 2/14 号 [雑誌]

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数学する身体 (新潮文庫)

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数学する人生

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たなかこういちさん

 

日本の独創が生まれる土俵については悲観は‥の質問に対して、質問を食うぐらいの勢いで「してません」と即答していた場面が印象的だった。

たなかさんが若い研究者の未来の可能性を確信して見続ける限り、イノベーションは必ず起こるらろう。

 

生涯最高の失敗 (朝日選書)

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理科室から生まれたノーベル賞―田中耕一ものがたり (イワサキ・ライブラリー)

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 イノベーション自身に対する、日本語では技術革新といわれているものをあまりにも杓子定規に狭く考えすぎているんじゃないかなと。

もともとのイノベーションの定義、日本語訳は、新結合、新しいとらえ方、解釈、これ自身がイノベーションなわけです。

いろいろな分野の方々が集まって新しく結合する、新しい解釈をする。あるときは失敗と思われることも別の分野ではすごい発見になるかもしれない。

もう少し柔軟に広く解釈すればイノベーションはもっとたやすくできると思いますし、イノベーションを実際にやっている人も単にくっつけただけだと自分自身を低く評価しているたとえば企業や、大学の特に若い人たちがいると思うが、そういう若い人たちに、いやもっと気楽に考えようよ、意外に簡単にできるよと。

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この言葉!

 

「スタート地点は『今』だと
よく言われるが、本当は
そうではない。
本当のスタート地点は、
『あなたの死ぬとき』である。
あなたの死ぬときから遡っ
てスタートするべきなのだ」       rigpa

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